奥沢「植え溜め」あれこれ
奥沢5丁目 堂山 幸男

第32号 2008.8.1

 昭和50年初めに奥澤に家を建ててもう30年をこえた。海の公園造りの関係で造園の仲間がまわりに結構いる。最初家の回りの生垣を何にするかで『専門家』にご意見を拝聴したが、十人十色。結論が出ないことがわかってエイヤアと自分で選んで植え込みを始めた。その結果を報告したつもりがたった一言、そういうのを『植え溜め』というんだよと切り捨てられた。その『植え溜め』顛末を報告する。

 淡いピンクと白とシボリの3種咲き分けの桃『源平』、最初に南側に植えたのがこれ春三月の声を聞くと色づきほころび、我が家の春到来のトップバッターとなった。八重は実がならないはずなのに可愛い実があとあとまで楽しませてくれていた。味も酸味があって懐かしい桃のかおりがした。少し遅れて杏が明るく花開く。家の前は八幡小学校の通学路になっているが、前を通るお母さんが子供に『サクラの花綺麗ね』と教えているので家の中から『それ杏でーす』と声をかけるのも当座しばらくの日課になった。 

 白加賀から始まって姫りんご・葡萄・ピラカンサス・・・春の植え溜めはこんな花々のラッシュとなるが、それらを目当てに四十雀・ひわ・尾長といった常連が季節を忘れずにやってくる。彼らは義理堅くいろいろなプレゼントを運んで来てくれる。ゆずりはが庭の真ん中に出現した時は、なんだか貴重な贈り物をもらった感じで嬉しくなった。しかし成長が早く残念ながら十年ほどで北側にお引取り願った。面白いのは南天。家を造った当初、文字通り南天の役割で玄関脇に植えたが、花は咲けども実のつかない状況が20年ほど続いた。諦めていたところ今では、南側道路に沿って10数本に増えた彼らが、最初のと合わせて、赤白取り混ぜて見事な重量感ある実をつけて冬から春にかけて道行く人を含めて楽しませてくれている。これも小鳥の贈り物の一つである。それも前に新聞で話題になったアスファルトを突き破って成育した『けなげ大根』のように、フェンスと公設の街渠ブロックのわずか15mmの隙間から今では10本をこえてにょきにょき伸びている。それに実がたわわについて見事な飾り物になってくれている。 

 土とみどりの会で一昨年街並み選奨樹木に選定していただいた『ピラカンサス』にはこんな話もあった。当時二階のベランダまで達して壮観な真っ赤なオブジェが嬉しくって年賀状に使ったところ、環八沿いの女子校で講師をやっている仲間の奥方が授業を終えて自由が丘に友達と散歩がてら食事に来た時この前を通った観たことがあると、そんな返信をもらった時は世の中結構狭いもんだと嬉しくなった覚えがある。

 話は飛ぶけれど、お台場に海浜公園を創っていたころは『十年後の埋立地に森の創設』が合言葉だった。十年後森は出来たが、丁度そのころ臨海副都心開発が動き出し、海浜公園の森を借景して台場日航ホテルが出来た。さぞや部屋から森の情景を眺めて大満足と思いきや、支配人からの要望『宿泊客の治安上、森の樹を少し切って見通しの利くヤシ類に変えてくれ』との要望。丁重に緑の大切さを説明してお引取り願ったが、森は疎林となり小鳥の楽園にはなりそこなってしまった。人間中心の都会の真ん中では致し方ないということだろうか。

 最近我が家のお職は『たちゆら』(トランペットフラワー)となっている。室内で十年ほど 秋になって2~3輪が細々と花開いていたが、大きくなりすぎて玄関脇に卸したら四方八方に枝を広げ、昨年三月いきなり花が咲き出した。最盛期には百輪をこえて淡い黄色と優しい芳香がたゆたう、えもいわれぬ環境を演出してくれている。仲間に写真を添えてこんな手紙を送った。 『不謹慎といわれるかもしれないけれど亜熱帯性の植物が露地で咲くなら、温暖化もまんざら捨てたものじゃない・・・』  雑駁に近況をつづりました。人とみどりの輪が広がっていくことを祈ります