ドイツ村物語
 奥沢2丁目 岡 哲男

第1号 2000.7.1

昭和3年(1928)5月、碑衾(ひぶすま)村大字衾(ふすま)(現大岡山)から奥沢に越してきた。当時は東京府荏原郡玉川村大字奥沢といった。

 新しい土地は子供の眼にも自然に恵まれた環境と感じられた。洋風2階建ての新築住宅は、注文主の要求を満たすものであったろう。

 近隣には、夫々200坪ほどの土地に7軒ほどの家が建っており、「ドイツ村」と呼ばれていた。ドイツ人が住んでいるわけでもないのにと不審に思ったが、明治大学教授で留学地のドイツから帰国した原熊吉氏が住んでいたのが理由と聞き、長年その通り信じていた。

 ところが最近になって、「ドイツ風の家が建っていたから」という説を聞いて、確かに赤い洋瓦葺き2階建ての家が3軒あった風景が蘇り、この方が説得力があると思った。命名者が誰か定かでないがその感性に敬服した。

 南は大井町線、北は九品仏川(現緑道)、東と西はいずれも奥沢から緑が丘へ通ずる道路に囲まれた地区をドイツ村と考えてよい。

 最近老人会などに出席すると、「ドイツ村の岡さんでしょう」と声をかけられる。すでに死語と思い込んでいたので驚き、70年前に戻ってお互いの記憶を話し合い確かめあい、懐かしい思いに昔を偲ぶのであった。

 時代の移り変わりにつれ、世代交代あり、土地の細分化あり、老朽による改築ありで、我が家を最後に昔の家はすべて姿を消してしまった。ドイツ村ゆかりの住民も今は片手で数えられるほどになってしまった。