父子と庭
 奥沢2丁目 鈴木 仁

第15号 2004.4.15

  私は庭や植物に関心があります。今日はわが家の庭のことを少しお話しましょう。

  私共家族は、昭和26年に仙台からこの地に越して参りました。当時の庭は伝統的な日本庭園で、、丸い庭石、築山、松や椿、茶室が記憶にあります。

  父の恩師宮本教授は東京医科歯科大学で、研究の合間に好きな高山植物を風通しの良い屋上に沢山植えていました。父は先生の指導で庭の改造に取り組み、英国ロックガーデンの文献を読み、先生と庭石の組み方を議論しながら小堀遠州庭と英国ロックガーデンの混然とした庭に仕上げ、山野草を植え、父の故郷六日町から取り寄せた桂、いたやかえで、ぶな、こぶし等を植えて得意そうでした。一時はこまくさが咲くまでになりました。

  やがて父は医業が、私は学業が多忙になるに連れ、庭は省みられなくなり50年に亘って、雑草生い茂り、樹木だけが大木に育っていきました。

  昨年私は定年退職を迎え、父は高齢94歳のため入院しています。昨年夏から先ず生い茂った,木賊、どくだみ、たでと悪戦苦闘して雑草取りをしましたが、雑草は石組みの下を這っていたため、ひっくり返すと石組みは元に戻らず、昔凝り性の二人がデザインしたロックガーデンは、山好きな小生我流の山岳的石組みになってしまいました。植物も、山野草にかぎらず、園芸種も含め幅広く、気ままに植えています。庭の形になるにはなお数年を要するでしょう。

  心配なことは、都会の放熱のためか昨年いたやかえでが枯れてしまったことです。残る5本の桂は何とか生き残って欲しいと願っています。皆様から、いろいろ教えて頂き、奥沢に恥じない庭に育てていきたいと思っています。

昭和36年の奥沢駅踏切の風景