昔は奥沢にもこんなものがありました
奥沢2丁目 平野 肇

第20号 2005.8.12

 昭和8年、私の一家が越してきた頃の奥沢は、まだ麦畑やネギ畑が広がるのどかな住宅地だった。現在は暗渠となり、桜並木が続く九品仏川緑道は当時呑川と呼ばれ、川エビやドジョウがたくさん泳いでいて、子供たちのかっこうの遊び場になっていた。

 あの頃は今の子供たちとは、まったく遊び方が違っていたように思う。当時小学校4年生だった私は、いたずらごっこに明け暮れた。昔はからだの大きなガキ大将が何人もいて、子分のように下級生をしたがえ、「おまえはこれをしろ」、「あれをやれ」と指図しながら、グループの面倒を見ていたものだ。

 さて、奥沢駅から神社の方へ歩くと、左側には桜並木に囲まれた野球場があった。ここは大手電気会社「明電舎」(本社は品川区大崎にあった)のグラウンドで、シーズン中は毎日熱戦が行われていた。立派なスタンドも整備されていて、住民たちも観戦できた。もちろん無料である。

 グラウンドの向かい側には、蕎麦屋、果実屋、理髪店などが軒を並べていたが、中でも目を引いたのは商号が 「十」(マルジュウ) という製パン店だった。当時は現在と違って、パンが主食の地位ではなく、菓子パン全盛時代だったので、“食パン普及”に懸命であった。そのため、毎日曜日は特売日となり、平日一斤10銭の食パンが9銭で買えた。

 駅前の線路沿いには鰻の「近三」(キンサン)という店があり、店内は狭いが味がよかったので、主として出前で繁盛していた。その付近はいつも鰻を焼く香ばしい煙が道路まで溢れていたことを思い出す。

 現在、「洋服コナカ」が建つ場所にあった 「森永製菓」の売店兼パーラーは、子供たちの憧れの的だった。ここには アイスクリームやスナック、洋菓子など、ハイカラなデザートが揃っていた。

 これらの店は、いつのまにか代替わりとなり、懐かしい風景とともに消えてしまった。

 今はもう、遠い遠い思い出の中で、蜃気楼のようにゆらいでいるだけだ。