奥沢育ち
 奥沢2丁目 宮城 加代   

第25号 2006.10.30

 去年の映画の『ALWAYS 三丁目の夕日』を観て、昭和30年代の私の幼い日の奥沢の町を思い出しました。東京タワーを建設中の、あの懐かしい日々が郷愁を誘うとても良い映画でした。  

 奥沢駅前の今のサンケイプラザは、むき出しの地面の上に屋根のある細長いアーケードで、母に手を引かれながら買物をしました。活気のある店々で、元気なおじさん、おばさん、お兄さん達の声が飛びかっていました。“スリにご注意!”などの古い看板が、アーケードの中に沢山並んでいました。又、その頃の遊び場は、奥沢神社でした。自転車に乗って紙芝居屋さんが来て、お菓子を売っていて、子供達が集まっていました。ゴム段や、なわとび等をして遊んだ記憶があります。まだTVが普及せず家に無くてラジオ番組を聴いて育ちました。家の前の目蒲線の保線区が網で仕切られていて、検車区で働くおじさん達が、お正月には餅つきをしたりして、子供達にも分けてくれる事もありました。昭和50年代の、私の子供達の頃も続いていました。

 小学、中学、高校、大学共奥沢で育ち、結婚後も離れず、子育てを大好きな奥沢でできたことが嬉しいです。井の中の蛙のようですが、奥沢の成長と共に私自身も成長して来たようです。昔の小さかった駅が、今は、地下鉄もつながる大きな駅に生まれ変わり、道路は舗装され、レストランや喫茶店も次々に開店しました。けれど、隣近所を散歩すると、緑や花を大切に育てているお庭を沢山見る事ができ、ホッとします。猫のひたいのような我が家の庭にも、四季折々の花が咲き、心が安らぎます。いつまでも、奥沢らしさがこのまま残ると良いと思います。