モチの木の想い出
奥沢4 丁目 江川 洋子

第26号 2007.1.23

 我が家の仏壇の引き出しに、義父が書き残した師息集という冊子があります。江川家の家系図、家紋、出生、結婚、死亡など家族の消息が記録されています。それによると、義父は新潟県五泉市の本家より分家して、昭和13年(1938)奥沢に居を構えたとあります。

 姑の話によると、家の東側のぬれ縁に立つと、奥沢駅ホームにいる義父の姿が見えて、手を振って「行ってらっしゃい」をしたそうです。まだ家もあまり建っていなかったそうで、現在ではとても信じられない、のどかな風景だったようです。

 昭和33年(1958)私は江川に嫁ぎました。当時、江川の家は、入り母屋造りの屋根、赤金の雨樋、玄関は 二枚の格子戸を左右に開けるなど、平屋の純日本家屋でした。門かぶりの赤松があり、サツキの生け垣は、花の季節になると、美しい紅色に染まりました。

 野趣豊かな庭には、泰山木、モチの木、モミジ、柿などが四季を彩り、キジバトが巣造りをして、ヒナをかえしたこともありました。

 昭和48年(1973)5年間寝たきりだった姑が亡くなり、遺産相続の問題が生じ、庭を手放すことになりました。まだ青い実をつけていたユズも、香り高く清らかな白い花を咲かせた泰山木も、殆んどの庭木は処分されました。それでも庭を買った人が、モチの木だけは残してくれたので嬉しかったのです。モチの木は、子供たちが小さかった頃、木登りをして高い枝に股がり、得意そうに「お母さーん」と声を張りあげ私をハラハラさせた思い出の木です。やがて、そのモチの木も切られてしまいました。数本の丸太となったモチの木が隣家の門前に転がっているのを見て、私も娘も泣きました。夕闇の中に黒々と横たわるモチの木は、まるで(むくろ)のように思えました。

 時代が変ったとはいえ、緑が少しずつ失われてゆくのは哀しく寂しいです。生け垣がブロック塀に変って、庭も狭くなったけれど、少しでも緑を茂らす工夫をしようと思います。