私の子供の頃の思い出
奥沢3丁目 鈴木 和夫

第34号 2009.1.26

 私が釣りを始めたのは、お祖父さんに連れられて多摩川に釣りに行ったのがそもそもの始めでした。小学校の4年・5年 (昭和14・15年頃)になるとお小遣いを貯めて、緑が丘の釣道具屋で延べ竿一本と、てんぐす糸、浮子、錘、針、缶びくを買って家で仕掛けを作り、ミミズを掘って友達と奥沢から自由が丘を通り、九品仏川を遡り九品仏の池に行きました。当時の池の周りは、お寺の墓地の下は崖になり、その下に池を廻る細い道がありました。池から流れ出す九品仏川の流れ出しの所に水門がありそれを過ぎると道路まで人家がありました。道路の向かい側は畑で、現在は八幡中学校になっています。

 此処は、九品仏のお寺が奥沢城であったときは底無しの湿地帯で城の北方の守りとなっていたと思います。それは、後年教師として八幡中に赴任した時に、生徒が校庭へ出て多人数でマラソン練習をすると地面が波うつ事と、鉄筋校舎に建替えるとき基礎のファイルを打つためコンクリートの柱を立てると、杭を打つ前にズブズブと入って1m位残して止ったことで納得がいきました。

 道路に沿ってボートハウスがあり、その前に小島がありました。ボート桟橋には、何艘かのボートが繋がれておりました。このボートハウスの横の池の縁が私の釣り場です。えび針にミミズを小さく切って刺し、ポイっと振り込んで暫く待つと、水面の玉ウキがスーと横に動き、やがて沈んでゆきます。ゆっくり待つと手長えびがエサを食ってきます。早く合わせるとハサミで挟んだエサを水面で離してしまいます。完全に食っているときは、えびが尻尾をあおってツンツンと引くのが竿に響き、此れで病みつきになり何回も通うようになりました。

 道路に沿って西に向かうと池に流れ込む用水路があって、此処では小鮒や口細などが釣れました。それを過ぎると交差点となり、交差点の右側にプールの様な大きさの長方形の養魚池が有りました。また近くには農家の人が野菜を洗う池があり、水はコンコンと湧いていました。九品仏川にも大きな鮒や鯉も泳いでいました。今は、暗渠となり、土手の桜が昔を思い出させます。