想い出
奥沢2丁目 松木 維宇

第35号 2009.5.6

 先日友人の母が亡くなり、その葬儀で大学の同期生に久し振りに会った。別の友人に紹介してもらったが、街中で出会っていたら分からなかったと言われてしまった。お互い様だ。

 そう大学を卒業して40年余り、そして我が町「奥沢」に住んで早や60年近く経ってしまった。思えば小学校2年で疎開先の山形より移り住んだ時は周りは田んぼ、当然道路は舗装無しの砂利道、亡き母から聞いたが九品仏川も当時緑道ではなく、むき出しの川だったため溢れたこともあった様だ。

 今この投稿文を書きながら数10年前の思い出が走馬灯の様に浮かんでは消えてゆく。

 兄と一緒に行った等々力渓谷や宝来公園でのザリガニ捕り、多摩川での魚釣り、家で飼っていたシェパード犬を連れて宝来公園への品評会参加、八幡小学校の帰りに奥沢駅前の交番でトイレを借りたこと(無理に我慢しなかったからか、帰宅してから何故か母親から誉められた)、そして友人宅で夕食にすき焼きをご馳走になったが、戦後まもなくのことでもありあまり家で 食べたこともなかったのに何時も食べている様な顔をしたこと、等々。そういえば当時の同級生、近所の仲間、皆今は如何しているのだろう? 一部の人を除いてバラバラになってしまった。思い出すとちょっと寂しい。またその時にどこの家でも使用していた蚊帳、卓袱台、旧式のあんか、火鉢、煙管、旧式の足踏みミシンや音のうるさい扇風機ーーー、そうだこのガラクタの類はみな山形の家に持っていったんだ。この都会ではあまり見かけなくなった草花も田舎の庭では立派に花を咲かせている。土とか広さ、日当たり等にもよるのだろうがたくましく育っている。この前雑草に近い物も含め花の種類を数えたら、30種類近くもあった。奥沢にある様な立派なケヤキ、桜、百日紅などはないが早速山形に帰って昔の想い出に浸ろう。

 でも原点はこの「奥沢」、愛すべきは「奥沢」、永遠 なれ!!!