耕地整理の歴史と奥沢

第37号 2009.11.12

 旧玉川(現在の玉川地区の大部分)の玉川全円耕地整理の歴史に触れる機会があり、街並みウォッチングをこの地域で行いました(1,3頁参照)。

  耕地整理は、鉄道の開発・住宅地の開発と密接な関係があり、公開されている資料からこの3つの年表を、並べてみました。

  この地域の開発は渋沢栄一の田園都市会社創立に始まります(現在の田園調布駅西側の住宅地)。この会社は鉄道の敷設戦略から、五島慶太を呼んで目黒蒲田電鉄(現東急電鉄)を設立し、大正12年に目黒蒲田間が開通します。この動きに対応して、同年玉川村村長の豊田正治はかねてから温めていた玉川村全体の構想を村会に諮り、大正15年に組合設立、昭和3年に 工事が始まります。

  奥沢二丁目に海軍村があったことは皆様よくご存じのことです。海軍士官と奥沢の地主との土地賃貸契約書には大正13年と記載されており、玉川全円耕地整理組合に先立って、耕地整理が行われたことがうかがわれます。

  この表を見ていると住宅地の開発が、鉄道の開通に呼応して行われていることが分かります(新町住宅開発と玉川電気鉄道、田園調布多摩川台開発、奥沢海軍村と目黒蒲田電鉄、諏訪分区(東玉川)耕地整理と新奥沢線)。さらに興味深いのは、田園都市開発、玉川全円耕地整理とも当時の開発が、渋沢、五島、豊田の強力なリーダーシップのもとで民間によって進められたことです。(鈴木)