大蛇みこしを始めた頃
 奥沢2丁目 永野 健一

第38号 2010.1.23

 商店の集まりである共栄会のあとつぎたちがお米やさんの原さんとやぶ茂の沢野さんの呼びかけで始めたのが共栄会青年部です。43年前のことで、たしか16人位しかいませんでした。先代の奥沢神社の神主さんはガンコでしたが、青年部の良き理解者であり、会合には神楽殿を使わせてくれました。

 いつものように神楽殿の中で車座になって石油ストーブを囲んでいると、数人の会員がみこしをかついできたと言い出しました(当時祭礼は10月でした)。

 偶然、他の町内のみこしに出会ったら「かつげ、かつげ」むりやりみこしに引っぱり込まれたと言います。

 共栄会は戦前からみこしを持っていなくて、子供の頃からみこしを見たことはあるのですが、かついでみたいなどとはみんな思っていなかったのです。ところがみこしをかついできた会員たちは「とにかくおもしろい。みこしを作って自分たちでかつぎたい」と言い出したのです。

 あまり熱っぽく語るので、半信半疑で聞いていた他の会員たちも、みこしを作ろうじゃないかということになりました。手作りのみこしが作れるような手先の器用な会員はいませんし、当然、高価なみこしを買えるわけもありません。

 「樽みこしでもいい」というのですが、樽みこしを見たことがないのです。そこで僕の友人の父親のイラストレーターに頼んで樽みこしの絵を書いてもらいました。酒屋の会員が樽を借りてくる事になり、かつぎ棒は神輿蔵にある不用のを使う事でなんとか形になりそうでした。その時に鳥居にかけてある蛇と同じ物をみこしに巻きつける事も決まりました。

 神社は蛇の作り方を若い人に伝えたい思いもあり、私たち青年部がその作り方を習いました。  

 最初は二斗樽が5本だったものが、数年後にひょんな事から四斗樽になってしまい、今の大きさのみこしになりました。

 最初は自分たちの楽しみのために作ったみこしが町内の人気者になり地域の人々集まるきっかけになるとは思ってもいませんでした。みこしだけはかついでみなければその楽しさが分かりません。半天を借りれば誰でもかつげますので、ぜひ体験してみてください。