僕と奥沢
奥沢5丁目 豊嶋 福次郎

第45回 2011.11.2

 奥沢に生まれ育って、64年が経ちますが、僕の生まれた時は第一次ベビーブームでした。

 小学校に入学した低学年の時は、確か二部授業で、その後は1クラス60名位で、机は教室一杯に並べられ、夏は暑く、冬は寒く暖房はダルマストーブで、近くの人は眠たくて仕方なかったです。

 その頃は、学校から帰るとランドセルを家に放り投げて、近くの原っぱで三角ベースをしたり、奥沢神社で、長馬・切馬・駆逐水雷・釘刺し等の遊びを夕方薄暗く成るまで、少し大きい子から小さな子(おみそ)達が遊んでいました。今では一寸考えられないですね。

 僕達の5年生の頃に八幡小学校校舎の立替で、誉れの桜が切られ、鉄筋3階建ての校舎が建てられました。

 又、この辺りには大きな桜の木が多く、今の環八が拡張される前は、等々力位まで、桜並木で大変綺麗でした。他にも平松理容店の桜・荏原会館の道路を挟んだ堀江さんの桜・有田医院の桜等が記憶に残って居ますが、今は平松理容店の桜が切られてしまい、寂しい事です。

 その頃、自由が丘駅に、街頭テレビが付き、プロレスや野球等を良く見に行きましたが、直ぐ後にやぶ茂さんが、お店にテレビを入れ、それと同時にソフトクリームの機械も入れて、ソフトクリームを食べながらのテレビ観戦が楽しみでした。           

 僕達の小学生の6年生の時は、東京タワーの建設時代で、学校から高く成った、タワーが見える様に成ると、完成が楽しみでした。

 僕の、小学生時代の思い出を、思い出すままに書き、取り留めの無い文章に成りましたが、お許し下さい。