緑と品格のある街
 奥沢2丁目 川嶋 定雄

第45回 2011.11.2

 昭和35年総理大臣池田勇人は国民所得倍増計画を掲げ4年後の東京オリンピックにすべてが躍動した。翌年図らずも奥沢に書店の空きが見つかる。周辺は石坂洋次郎の陽のあたる坂道や自由ヶ丘夫人の名作で自由ヶ丘・田園調布は有名で奥沢・緑が丘も同等グレードの高い海軍村と親戚の海軍出身伯父が語ったことがあり私も海軍志願のネービースピーリットで奥沢に好感を抱く。先ず都心から大井町線で緑が丘駅手前の呑川と九品仏川の合流する渦巻く水が東工大の樹木の緑が光線で蒼く輝いて車窓に写った、綺麗な水だなーと感動した。今は暗渠化され見られない。翌日車で今の目黒通りに入ると急ピッチ、オリンピック仕上げで、ビルの無い駄々広い大通りに驚く、柿の木坂まで出来都立大から先は狭い道のまま都立大を左に入り緑が丘・玉川奥澤町1丁目381(今の奥沢2丁目)で書店を開業。多くの諸先輩・著名人・今は亡き老提督とも文化を通じてお会い出来、人との出会いを大切に半世紀にしてお仲間入り出来たかと感謝しています。平成も10年程過ぎた頃元海軍高官S家より入手せし、昭和十一年六月現在奥澤一丁目町曾發行・曾員名簿で今から75年前2・26事件時で(現在1・2・3丁目交和会)の範囲で会員1259名から海軍士官総覧照合、判明せし将官・高官は実に中将18名少将16名大佐20名・終戦時階級に及び海軍村は提督村と称え得る価値を有するものであります。

 特筆すべきは平成19年より天皇・皇后両陛下お揃いで4度奥沢2丁目にお訪ねくだされ非公式ご訪問で車列はつくらず先導車と普通車2輌のみの静かなご通過で車窓を全開久しく手を振られ沿道の住民に接せられ奥沢2丁目メーンストリートを魅了した。奥沢2丁目某家にハープ(弦楽器)の調べとのご様子。すっかり奥沢のグレードの高さを誇らしめられた光景がありました。

 終りに恐懼の至りですが、創業時の崇高な理想を掲げ多くの読者のご声援頂きながら後継者が無く、半世紀の書店業を閉じることに致しました。今後も奥沢の住人としておこえかけ下されば幸いです。