私の奥沢
 奥沢1丁目 塩谷 良一  

第47回 2012.5.6

 私が、大田区の蒲田から奥沢1丁目に引越して来たのは、昭和36年の4月でした。

 奥沢の駅前には、写真屋さんや病院があり、八百屋さんや魚屋さんが入った木造の市場もありました。父が奥沢に買った家を、はじめて見に来たのは夜でしたので、目蒲線の奥沢駅で降り、大脇病院から斜めに延びた道を下りながら、薄暗い町だなと思いました。

 私は小学校の5年生でしたが、集団遊びを通して、友だちとも比較的早く仲良しになれました。遊びはほとんど道路で、「缶けり」などをして遊びました。

 大きな家も多く、所どころには畑もありました。やがて世代がかわり、バブル期の影響などでも、大きな家は一つ無くなり、また一つと無くなって、そこには数軒の家が建てられました。大きな桜の木も、あったと思います。

 いま、世田谷区では、区制100周年(2032年)までに、区の面積の1/3(33%)をみどりにしようという運動をしているそうです。みどりは地球に生きる全ての命を育む大切な存在ですので、「世田谷みどり33」の達成により、「みどりとみずの環境共生都市・世田谷」を実現するそうです。

 みどりが地表をおおう部分に、公園区域に水面を加えた面積が、地域全体に占める割合を「みどり率」と言うそうです。生垣助成や花壇助成、屋上・壁面緑化助成もされているようですが、みどり率はまだ、25.56%(平成18年)だそうです。

 こんな中、「土とみどりを守る会」のみなさんは、「大きな木を残して!」「勝手に開発や造成をしないで!」と、さまざまな活動を通じてされているようですが、美しいみどりの町奥沢、ふるさと奥沢を守るためにも、町内のみなさんが、理解と協力で、思が一つになればと願っています。