子どもに見せたい昔の奥沢
奥沢4丁目 山田 惠子

第53号 2013.11.5

 私の家は奥沢4丁目の真ん中あたりにあります。昭和33年頃の記憶や思い出をたどってみます。

 町並みは生垣が続いていました。右隣の家は洋風な玄関までのアプローチにアジサイが咲いてきれいでした。そして昭和3年に建った私の家は庭の真ん中に建っていました。斜めに入る玄関までの植木のバランスがとれ、雪が積もるともっと素敵でした。左隣の家は門から玄関まで曲がりくねったアプローチでした。離れのような2階の屋根のてっぺんに、雀のお宿が見えました。向かいは杉山さんというヒマラヤ杉の並んだ洋風な家。斜め向かいは白壁さんという茶色で少し水色がかった板塀の家でした。

 私の家の生垣には時々蛇がはっていたり、宇宙のようなカラスウリが咲きました。私が小学生になると、垣根は下の枝が少なくなり穴が開いて缶蹴りで遊ぶには絶好のトンネルでした。お祭りで山車の牛が繫がれた時は葉を食べてもっと大きくなりました。そしてブロック塀に変えました。工事の時はたくさんの木を根こそぎ抜くので泣きました。

 道が舗装され始めました。道路は両側のドブに向かって、かまぼこのように傾斜していましたから、自転車で角を曲がった時、ドッジボールで遊んでいる集団に突っ込むと、ハンドルを取られ車輪がドブにはまることがありました。   

 昔はなぜ野良犬が多かったのでしょう。4・5匹がケンカをしたり跳び回ったり。怖くて遠回りをして家にたどりついたことがありました。

 新しい友達には、井戸のふたを持ち上げ、真っ暗な中をのぞいて水滴の音を聞き大声を出すのが、私なりのサービスでした。でも石鹸を落として、友達の前で叱られてからは、やめました。鬼ごっこの時、お便所の汲み取り口の板に友達が乗って落っこちないかとひやひやしたり、姉の友達とやるゴム段は、片方は柿の木、もう片方は私が持ち、高いの低いのと言われながら、遊びました。

 あの頃の奥沢に出会いたい。こんなこともあって奥沢が好きなんだと、子どもに見せてあげたい。