奥沢で生まれ育って
奥沢1丁目 染野 和夫     

第57号 2014.10.30

 私は、昭和20年11月、現住所の奥沢1丁目62番地(当時は、玉川奥沢町1丁目39番地)で生まれ、以来70年弱をこの地で過ごしてきました。子供時代そして社会人となってからも、転勤等で奥沢を離れることもなく、この地で生活を続けることが出来たことはとても幸運であったと思いますし、特に会社をリタイヤしてからは、会社人間であった頃にはよく分らなかった奥沢の町の良さを知ることができて、愛着を感じています。

 私は、昭和27年4月奥沢小学校に入学し、小学校生活をスタートしましたが、翌年の4月からは隣の東玉川小学校の2年生として転校となりました。

 当時、奥沢小学校は児童数が年々増加して、二部授業を行わざるを得ない状況となっており、昭和26年4月に東玉川小学校が奥沢小学校の分校として開校しています。しかし開校当初の校舎は1棟のみで、1年生~4年生までの8学級でした。そして翌年昭和27年末に増築校舎が完成、翌28年4月からは1年生~6年生迄の受け入れが可能となって学区域が拡張されました。

奥沢1丁目ですが奥沢小学校から遠い場所に住む私はこうして東玉川小学校に転校し、以降卒業までの5年間を同校で過ごす事になりました。

 東玉川小学校への転校で一番驚いたことは通学途中の町の様子です。奥沢小学校までの通学路では、途中には商店や住宅が沢山あり、街には賑やかな雰囲気がありました。しかし、東玉川小学校への通学路は全く様子が違っていました。我が家から大音寺付近迄は家並が続いていましたが、大音寺の横を過ぎるとそこから先の東側の呑川方向には田んぼや畑が広がっていて、とてものどかな田園風景です。ですから学校からの下校時には田圃のあぜ道を遊びながら帰ったりしていました。

 学校の近くまで行くと家々がありましたが、学校校庭の北側には養鶏場の建物が有り、北風が吹くとニワトリの糞の匂いが漂っていました。学校の校庭の東側や南側も建物は無く、もちろん石川台中学校もまだありません。校庭の東側には、農業用水路が流れていて、ザリガニやオタマジャクシを採ったりしてよく遊びました。

 学校からは、東京工業大学のシンボルであった時計塔が遠くにはっきり見えていて、図画の時間には時間にはよく写生をしました。

 東玉川小学校での5年間は、とても伸びやかな雰囲気の中で、楽しく充実した小学校生活を送れたというたくさんの思い出があります。

 この東玉川小学校が、平成13年に開校50周年を迎えるに合わせて、当時PTAの会長をしていた和田秀寿氏や1期卒業生の合志誠治先輩等と相談して、同窓会を立ち上げ、一緒に50周年のお祝いをしました。

 現在は、この奥沢の地域で色々な分野での活動をさせていただだき、充実した毎日をおくらせていただいております。これからも生まれ育った我がふるさとを大切に過ごしていきたいと思います。