奥沢の実家今昔
 大田区石川町 平井 進

第57号 2014.10.30

 奥沢2丁目にある私の実家は、昭和7年に建てられたもので、祖父が昭和29年に購入しました。

 当時の家の一つの典型で、日本建築の母屋に洋風の応接間がつき、垣根の下は芝生の土手で、庭にシュロを植えるというものでした。

 庭の築山の横に池があって金魚が大勢いましたが、ある時期サギが来るようになり、かなり減りました。残った金魚は何代にもわたって先祖帰りをし、今では黒いフナに戻っています。池にはカエルが来て卵を産み、春にはオタマジャクシで一杯になります。

 戦前の趣としては、女中さんの部屋があり、壁上に家中の部屋の番号を示す盤があって、どこで用事があるかが分かるようになっています。電話部屋があり、壁掛の電話がありました。台所の床下は物入れになっており、冬は冷蔵庫代わりでした。北側の廊下の一側は、納戸と他はすべて押入です。南側に20間ほど廊下があり、朝夕、東西の戸袋から雨戸を出し入れしていました。お手洗いはお客様用と家人用の二つあります。表玄関とは別に裏庭に通ずる内玄関があり、家人が出入りしていたようです。

 台所の外に井戸があり、表と裏の庭の入口に木戸があります。女中さんを含めて誰かが家にいることを前提に作られており、外から鍵がかけられるようになっていませんでした。今でも中に入ると、祖父母・両親が暮らしていた時代の時間が流れているような気がします。