西野定正さんを偲んで
鈴木 仁(事務局長)

第61回 2015.10.22

 西野さんは奥沢海軍村の記録や記憶を後世のために残すことに大変熱心な方でした。世田谷区発行の「ふるさと世田谷を語る 奥沢・尾山台」に海軍村の地図が載っています。これは西野さんと同じく海軍村の荒木さんが一緒に作り提供されたものです。

 8年前に、当時の事務局長であった柳島尚子さんと西野宅で、西野さんと佐藤忠さんにお会いし、子供の頃のお話や当時の記録や写真を見せて頂き、当時の海軍村の様子を話して頂きました。

 その中に、西野さんの父上(定一さん 後に主計中将)と地主さんの間の土地賃借契約書がありました。契約の日付は大正13年12月9日でした。

 奥沢をはじめとする玉川村(現在の玉川地区)の玉川全円耕地整理事業(地主が主体となる民間の宅地開発事業)は、大正12年1月に玉川村村会で耕地整理事業の企画が議決、大正14年組合が設立され、奥沢地区は昭和6年12月に耕地整理が始まりました(「郷土開発」昭和30年7月20日より)。

 契約書の日付からみて、地元奥沢の地主さんたちによる耕地整理が先行していたことが分かりました。街の歴史のために、この私的な資料を快く提供下さったことをありがたく思いました。

 また子供の頃の話では、海軍村とドイツ村の子供たちが、野球や駆けっこして遊んだことや九品仏川沿いには水田があり、周辺には麦畑があったことをお聞きしました。

 最近になって散歩中の西野さんにお会いしたときに、「呉に行って生まれた場所を見てきたよ。」といかにも長年の念願を果たした満足感がお顔に溢れていました。

 体調を崩され3か月も入院された後、ご子息裕久さんとリハビリのウォーキングをされていたほほえましいお姿を拝見していたのに、突然お亡くなりになりおどろきました。西野さんのご冥福を心よりお祈りします。