“石標づくり”での古老達の話
奥沢3丁目 大橋 茂弘(玉川石標保存会副会長)

第72回 2018.8.22

 1984年玉川地域で73団体参加の玉川地域団体連絡協議会が設立され、地域をもっと知って歩いて探す、石標づくりに着手しようと20年かけて、玉川地域に173か所の石標を設置しました。奥沢地域では、公和会、中和会、各商店会、各種団体からの募金で約400万円集まり、九品仏コース30本、奥沢では17本の石標が完成しました。

 その際、各団体の役員、高齢者の集まりのなかで、懐かしい思い出話が数多く語られました。

 ●新奥沢駅跡〜昭和3年ごろ、池上線の雪が谷駅から国分寺までの新しい線路を作る計画が利用者が少なくて、中止になり、“その電車運行中、手を上げると乗車できる”“車中は野菜で一杯”

 ●奥沢本村由碑〜奥沢は、昔は、本村と新田村に分かれていて、奥沢本村は旗本領で、新田村は天領であった。明治に入ると奥沢は、品川県に属して、明治22年東京府江原群玉川村字奥沢と呼ぶようになっています。

 ●諏訪山遺跡〜1965年から3丁目37番あたりから3500年前(縄文中期)遺跡が見つかり、1982年世田谷遺跡調査会が5次にわたり、次々と縄文土器が現れていました。=写真は火炎土器、現在東京国立博物館所蔵に展示している国宝と同型=この土器は世田谷郷土資料館に展示している=奥沢3丁目辺りは、竪穴住居跡が、いくつも発見され、古代人が暮らしていて、火葬墓も発見されている。

 ●奥沢駅に狐〜目蒲線が出来た頃、奥沢駅に一人立っている姿があり、当時の1車両で駅に着くと、それが狐、逃げて行ったと言う話。

 ●奥沢埋蔵金〜奥沢1丁目23あたりのはなし、奥沢に軍用金の埋蔵金があると、語り継がれているので、人夫を数人雇って畑を数日掘り返したが、素焼きの破片が出ただけでした。