この地に住んで
 奥沢1丁目 大道 清子

第73号 2018.10.25

 横浜で生まれて二十余年、緑の多い山の手の高台から見える夏の花火を楽しんで育った浜っ子の私が奥沢で生まれ、奥沢の地で育った主人と出会い、早五十二年の歳月が経ちました。地の利の不便なことはこの上もなく、東急電鉄のおかげで歩いて数分の所に駅があり、友人たちが多く住む横浜にも楽に行くことが出来ました。

 主人はここで特定郵便局長として仕事を始めました。私は二人の娘を育てる事の楽しさを味わっておりましたが、急に、欠員が出たために仕事を始めることとなりました。卒業の時、学問は門を出ると同時に返してきた私にとっては大変な事でした。試験がとにかく大変でした。どうにか合格通知を頂き、三週間の宿泊研修を二度ほど受けました。いよいよ育児と並行して仕事が始まり、地域の皆様にご利用頂く奥沢一郵便局の一員となったのです。近くに郵便局も銀行も無かったため、ご高齢の方々が喜んで下さいました。

 局長は目黒区、大田区、世田谷区の入り組んだ所に足を運び、チラシをポストに配りながら、局と顔を知って頂けるような努力をして参りました。

 職員さんも一人、また一人と増えて忙しくなり、特に忙しい時は仕事が終わるのが10時を過ぎるという時もありました。また、お金を照合すると一円多かったり、反対に十円少なかったりするときもありました。その時は、控え伝票にメモ書きをし、代金をお返しにもしくは頂にお客様のお宅に伺う事も度々ありました。

 順調にお客様が増えて来ましたが、機器も増え、局舎が手狭になり、ご利用頂いたお客様にご不便をおかけするようになった事もあり、局としての仕事を終える事に致しました。  奥沢一郵便局はこの地で生まれ、多くの方々に支えられながらこの地で仕事ができ、郵便局としての使命を終了致しました。