奥沢の歴史奥沢近辺の城址と地名⑧その他の城址(ⅶ) 

 今回は奥沢のお隣さん等々力にあったと伝えられている等々力城跡について紹介する。
 世田谷の城塞の著者三田義春氏はむしろ野毛砦と呼ぶほうが相応しいと考えているようである。 「ノゲ」とは東国の土俗古崖地を指しているという。しかし、この辺りは等々力渓谷があるものの急峻な崖はなく、むしろ付近よりなだらかといってよく、六所神社と善養寺の間から神明祠近くに上る鎌倉道が伝えられている。
 従って六所神社から谷沢川右岸の崖が多摩川から攻め上ってくる敵に対しての防御線になる。ここは多摩川河原に降り、下野毛の渡しに通じている。
 只、善養寺は江戸時代の慶安年間(1648~52)に深沢村から移転してきたものと伝えられているが、都天然記念物にされている大榧(カヤ)の木の樹齢が600~700年とみられているので、善養寺以前から神社・仏堂・祠などがあったと考えられる。六所神社も上野毛境から移転してきたものである。
尚、野毛大塚古墳と御岳山古墳は当時かなり目立っていたと思われるので、当然狼煙台に利用されたことであろう。野毛の田中氏、等々力の豊田氏(土居田)は吉良氏の旧家臣である。
(赤松)

善養寺の大カヤ
等々力渓谷(逆川[ゴルフ橋下の丸い穴]と谷沢川合流地点)
野毛(等々力)砦跡(世田谷の中世城塞から)