奥奥沢近辺の城址と地名⑨その他の城址(ⅷ)

 今回は城址・砦紹介の最後として烏山城址(砦)と吉良氏が街道の要所々々に置いた番所について書く。
 烏山城址は芦花公園駅の南側一帯で、烏山川とその支流及び現京王線に囲まれた長方形の区域になる。水田面からは2~3mの高さで、東西と南側は烏山
川及びその支流の水田に囲まれている。元々ここに世田谷城の北西を守る為(対上杉・武田)の砦があって当然であるが、はっきりしていない。
 天文4年(1535)高橋氏高は後北条氏の命によりここに城を築いた。これは同所の高橋竜蔵氏所蔵の「高橋系図」に記されている。「高橋系図」によると、高橋氏高は後漢孝霊帝31代末裔「劉高種」の子であり、色々あった後、北条早雲に戦い方が気に入られ、従うようになった。
 小田原城敗北後、北条氏直に従い、一時高野山に入ったが、氏直没後烏山に戻った。高橋氏のことは新編武蔵風土記にもふれられている。烏山城についてはこれまで研究書物等に「ウテナ化粧品工場のところ」とだけ伝えられていたが、三
田義春氏が改めて城域を推定した。台地の北側部分は土塁や柵を築いたものと考えられる。城域に耕作地や集落を包含していた可能性があり、系図には北砦、南砦の記述が見られる。
 中世の世田谷における城址・砦跡は以上であるが、世田谷城の周囲には幾つか番所が設けられていた。代田番所、北沢窪番所、常盤橋番所、駒留番所、向
天神番所、弦巻番所、供養塚番所、桜木番所、八幡山番所、上北沢番所である。また、非常時に際して砦がわりに近くに幾つかの寺院を配している。それが常徳院、世田谷八幡宮、勝光院、円光院、勝国寺、善性寺、多聞寺、密蔵院、円乗院である。
 この他「出張り」といわれるごく小さな小屋又は砦もある。奥沢小学校にあったと伝えられる大平砦、大音寺の朝鮮丸砦、奥沢4丁目付近の千駄(せんだ)丸、田園調布中学校の出張り等である。
 最後に常盤橋番所にふれておきたい。世田谷区第3回地域風景資産に「土とみどりを守る会」が推薦し、選定された『鷺草伝説ゆかりの奥沢城跡のある風景』の元になった鷺草伝説は、『名残(なごり)の常盤記(ときわき)』という江戸時代の書物に書かれている。
 その冒頭部分は、伊豆国修禅寺の僧が諸国修行の途中、荏原世田谷の街道の小橋で休憩し、夢の中で常盤姫の物語を聞くことになる。その小橋が常盤橋で、世田谷通りの若林3丁目13番ネッツトヨタ東京店脇の小径(緑道)に架かっていた。今も駒留(こまどめ)神社内の常盤弁財天に橋名を刻んだ柱が置いてある。小
川は世田谷通り拡張の折、埋められてしまったのだろうか。その名は今も世田谷通りを跨ぐ環状七号線の陸橋に残されている。
 すぐ近くの上馬5丁目38番に常盤塚が、上町の常在寺には常盤姫のお墓やゆかりの石碑等が今も保存されていて、ただの説話とは考えにくい。常盤橋傍に番所があったのだが、今も世田谷通りはここで屈している。次回からは奥沢の史跡を紹介していく。
参照史料:世田谷の中世城塞(三田義春著) 、名残
の常盤記研究(鈴木堅次郎著)  (赤松)

烏山城
世田谷区内の城址