奥沢史跡巡り④まちなか観光東地区コース(ⅲ)

 今回からはまちなか観光コース東地区の史跡を紹介して行く。
 先ずは東地区から。スタートは奥沢駅南口。ここでは商店街の紹介は省略する。

①奥沢駅前 ( 噴水 ) 広 場 ― 昭 和 59 年 (1984) 世 田 谷 百 景 № 100 に 選 定 さ れ る。今どきにしてはミニサイズだが、音楽祭や買い物帰り等結構親しまれている。

奥沢駅南口駅前噴水広場

 ②銀座通り・弁天池跡―寿司店の南側半分。弁財天が祀られていて、湧水があった。小さい流れが東横線・目黒線の崖近くから流れ ていたようだが、私の子どもの頃の記憶にはない。東半分に池があり、入り口の銀座通り側は赤土の小山になってい た。縁日には夜店が出ていて、かなりの人が集まっていた。中央に設置されていた虫を集める青紫の灯りが印象的であった。詳しくは2009.1.18発行の土・街・みどり会報に載っている。

奥沢弁天池[推定図]

 ③丸山稲荷―現在の奥沢三丁目から諏訪山地区を除いた南側三分の二が、小字 ( コアサ ゙) 丸山と呼ばれていた。大音寺か見て小高い丸い山に見えたからだ。ちなみに九品仏川に削られた沖ノ谷・鷺ノ谷との間はなだらかな斜面だったので、中丸山 (小字諏訪山・赤坂丸)と呼ばれていたようだ。丸山地区の屋敷神であった。その後、丸山の住人が稲荷講を始めたが、昭和初期に止めてしまい、現在は奥沢親交会商店会と近くの人たちで、奥沢神社の神主さんをお迎えして、祀っている。詳しくは親交会のHPに書かれている。

丸山稲荷
新奥沢駅跡[ふるさとめぐり石標]

 ④新奥沢駅―昭和 3 年池上電鉄が国分寺線(雪谷~奥沢~二子玉川~国分寺)の開通を目指したが、東横線との接続並びに立体交差を目黒蒲田電鉄に邪魔され、環八と中原街道を結ぶ府道106号の立体交差が出来ず、結局、府道そばに臨時駅を造ったのが奥沢線の新奥沢駅。結局、昭和3年目黒蒲田電鉄 (東京横浜電鉄)は奥沢~瀬田河原 (二子渡)の路線接続を奥沢駅から大岡山駅に変更、昭和4年には大井町線と直通運転をした。
 また、直前東横線を高架で延伸、九品仏駅を 自由が丘駅に呼称変更した。これで池上電鉄は国分寺線を分断され、昭和11年、目黒蒲田電鉄に併合され、乗客数の少なさを理由に国分寺線免許を返上、廃線にした。これらのいきさ つは実際はもっと複雑で、川崎財閥の資金、目黒線に沿った田園都市構想、同時期の玉川全円耕地整理とその波及 (碑衾町の耕地整理組合)、関東大震災、満州事変、日中戦争等の時代の流れがそのバックにある。東京横浜電鉄の五島慶太氏か逓信大臣迄勤め上げるようになる。
 ここの話を調べるのには国立公文書館にいく必要がある。歴鉄オタクとして面白く読むだけなら、XWIN ⅡWeblogや新奥沢駅などのワードで検索をすれば見つかる。面白い話がたくさん書かれている。真偽の保証はな いが、良心的に調べている。
(赤松)

奥沢駅・大岡山駅間立体交差
大井町線線路変更