おくさわ今と昔『今』

終の棲家に選んだまち
奥沢2丁目 長瀬 雅義

第1号 2000.7.1  毎年々々萌葱色の新芽がふきだす季節を迎えると、終の棲家を奥沢に決めた頃を思い出します。  60年近く住み慣れた緑豊かな住宅地に次から次ぎへと庭木のない高層マンションが建つのを嫌って、この季節に奥沢に引っ越してきたからです。ここを選んだ理由は容積率のため高層マンションがなく、どの家の庭木も程良く剪定されていて落ち着いた住宅街との印象がとても強かったからです。  都会の住宅地というと住人の職業がまちまちなため、なかなか親しく言葉を交わす機会がないものなのですが、「土とみどりを守る会」に参加して、古くからここに住んでいらっしゃる方々と住みよい住環境を守るためにとあれこれ楽しくお話ができるようになって転居の喜びをかみしめている昨今です。  また近くには季節ごとに質の高い旬のものを取りそろえている鮨屋や魚屋があることもこの地を離れがたいものにしています。  湘南の鎌倉や逗…

金木犀の香る町
奥沢2丁目 廣田 美嘉

第3号 2000.12.1 私達家族がこの奥沢に越して参りましたのは、七年前の初夏でした。  この地に住まいを構えたいと願った理由は「自由が丘」「奥沢」「緑が丘」と三つの駅に囲まれた便利な地でありながら、一本路地に踏み入れると突然目に飛び込んで来る草木達の表情でした。それは決して単調なものではなく、手入れの行き届いた丹精な垣根もあれば、道路を覆い尽くさんばかりの大木ありと、様々な表情で私達を迎えいれてくれました。そして初めての秋、どこからともなく漂う金木犀の甘い香りにも安らぎを感じて居りました。  この町に移り住んで六年目の夏と今年の春と一匹ずつ、かねてからの夢でもありました犬を飼いました。それ以来、主人と又ある時は子ども達と一緒に、二頭の犬を連れて朝夕の散歩が日課となって居ります。「今日はこの角」「明日はあの路地」と散策を続けて居りますが、未だに新しい「奥沢の顔」との出会いのある日々を楽…

心のゆとりを大切にしたい
奥沢2丁目 北山 考二郎

第4号 2001.4.1  私が大阪から移り住んで早くも15年が経過しました。  仕事場が近いということで自由が丘周辺を捜していて、奥沢という地名を初めて知りました。関西とは違う町並みで緑が多く、道路に大木の枝がはり出していたのが印象的でした。  ちょうど2丁目の三浦さんの離れが空いていてお借りしました。そこには大きな柿ノ木が二本、家の前と後ろに聳えていました。柿ノ木は秋に大きな実をいっぱいつけるのですがそれが終わると、ある日一斉に葉っぱが散って家の周りは落ち葉でおおわれます。前の木が甘柿で後ろの木が渋柿、実を収穫したり、落ち葉と格闘したり、たった2本の木が1年の移り変わりと近所の楽しいイベントをつくってくれました。また、近所に迷いネコが住み着いたり、あれやこれやと心温まる事件もいっぱいありました。  10年程住み続けて手狭になったことと、この近くに私達の家を持ちたいと思うようになり、随分…

「みどり」とともに守りたいもの
奥沢2丁目 三井 格、恵子

第5号 2001.7.1  私共家族が奥沢に住み始めて、今年で4年になります。初めてこの地を訪ねたのは3月末のことでした。  生け垣のレッドロビン(ベニカナメモチ)の新芽が美しく、あたかも御近所で話し合われて2丁目の町並みに赤い縁取りを施したように思われました。豊かな緑と利便性、そして落ち着いた雰囲気に惹かれ、迷う事なく転居を決意しました。住み始めた後に、この辺りがかつて海軍村、ドイツ村と呼ばれていたことを知り、成熟した街の歴史の思いを馳せていきます。  2−33の松田さんのお庭にあった大きな木々を、子供達は「木のトンネル」と呼んでいました。息子の幼稚園への往復で、3年間そのトンネルをくぐりました。卒園間近に姿を消してしまった時には、息子と一緒に「寂しいね」と残念に思いましたが、子どもたちの思い出の中で、大切な一コマになっていることでしょう。  この数年の間にも、徐々に緑が少なくなっている…