おくさわ今と昔『昔』

ドイツ村物語
奥沢2丁目 岡 哲男

第1号 2000.7.1 昭和3年(1928)5月、碑衾(ひぶすま)村大字衾(ふすま)(現大岡山)から奥沢に越してきた。当時は東京府荏原郡玉川村大字奥沢といった。  新しい土地は子供の眼にも自然に恵まれた環境と感じられた。洋風2階建ての新築住宅は、注文主の要求を満たすものであったろう。  近隣には、夫々200坪ほどの土地に7軒ほどの家が建っており、「ドイツ村」と呼ばれていた。ドイツ人が住んでいるわけでもないのにと不審に思ったが、明治大学教授で留学地のドイツから帰国した原熊吉氏が住んでいたのが理由と聞き、長年その通り信じていた。  ところが最近になって、「ドイツ風の家が建っていたから」という説を聞いて、確かに赤い洋瓦葺き2階建ての家が3軒あった風景が蘇り、この方が説得力があると思った。命名者が誰か定かでないがその感性に敬服した。  南は大井町線、北は九品仏川(現緑道)、東と西はいずれも奥沢か…

欅の大樹に寄せて
奥沢2丁目 関 誠三郎

第3号 2000.12.1  緑が丘のプラットホームから西の方向を見ると大空に手を拡げている欅があります。建築家近藤泰夫氏宅のおなじみの世田谷区保存樹木です。250年の年輪を重ねて今も尚四季折々の風情で私達に心のゆとりと安心を感じさせてくれます。立派な人格すら感じます。この辺はそうした雰囲気のある恵まれた住宅地だと思います。  私は明治生まれで大正、昭和、平成と20世紀を体験したわけですが、今のように心の荒んだ事件が続出した時期はありませんでした。これで日本は将来大丈夫かと心配です。多くの人達も同感と思います。  これは道徳の問題ですから個人、家族、グループ、社会とあらゆる場で根気よく道徳水準の改善が必要です。  その意味でも地区の自然を守り住居環境を美しく整備する協力運動はお互いの親睦にもなりますし、私も何かこの「土とみどりを守る会」で出来る事がございましたら参加させていただきます。  …

我家の御影石のこと
奥沢2丁目 備藤 太郎

第4号 2001.4.1  我家は緑が丘駅から西へ坂を上りきった一面にあり、大正の末期から昭和の初期にかけて、アメリカから帰国された方の家が、四・五軒、集まっていたことから、この一画はアメリカ村と呼ばれていた。  その後時は流れ、太平洋戦争の真っ最中の昭和十八年の暮れ、我家でも庭に防空壕を造ることとなった。人命にかかわることなので、耐久性、耐火性に優れた御影石を使用することとなった。然し、石材を運搬するのにこの当時、民需用としてトラックなどをチャーターすることが困難を極め、止むなく、馬車で運搬することになった。  緑が丘駅から未舗装の上り坂と、石の重量の悪条件が重なって、坂を上がることが出来ず、積み荷の石材を坂の下で一部を降ろし、何回かに分けて搬入した。  御影石は、天板、梁、壁面、階段などに使用し、床面だけは、防水鉄筋コンクリートにし、頑丈で素晴らしいものが完成した。  然し、その後父親…

ご近所のお知り合い
奥沢2丁目 平井 弘

第5号 2001.7.1  私たちは終戦後昭和23年から奥沢1丁目に住んでいましたが、関西勤務となり、両親を残して24年間関西へ行っておりました。昭和50年から現在の奥沢2丁目に帰って以来、奥沢住まいも前後30年の長さになりますが、静かな緑の多い環境です。  更にお知り合いの方々が増えれば、何とも楽しい生活環境といえるでしょう。サラリーマン勤めの間は、どうしても家から勤務場所までの無言の行き帰りが習慣になっていましたが、それでも近所の方々と時々朝夕お会いすると楽しくなります。私の家の前に長老の関さんがお住まいで、以前緑ヶ丘の駅でお会いしていろいろお話しを承りました。明治の大実業家渋沢栄一さんのお近くにおられた方で、その御薫陶のせいか90歳を越された現在でも御事業を経営されています。  鈴木仁長先生には一家で大変お世話になりました。  素晴らしい写真帳を出されて、植物にも御造詣が深い先生です…